“なんのために働くのか”を考えたとき、最初に浮かんだのは「家族の顔」だった

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こんにちは、となりのログです。

最近ふと、こんなことを考える瞬間が増えてきました。
「なんのために働いてるんだろう?」

働き始めた頃は、ただ必死だった。
生活のため、家族のため、安定のため。

でも、年齢を重ねて、年収も少しずつ上がってきた今――
ようやく「自分のために働きたい」と感じ始めています。


僕が働く理由は、家族に不自由をさせたくないから

正直、僕が働く一番の理由は家族です。

結婚して、子どもが生まれて、守るものができた。
それまでの“自分だけの人生”から、“誰かのための人生”になった瞬間でもありました。

「お金で苦労させたくない」
「できるだけ選択肢の多い人生を、子どもに用意したい」

そんな気持ちが、ずっと僕の原動力になってきました。


周りよりも多く稼ぎたい、という気持ちは“劣等感”じゃなく“使命感”だった

正直、「もっと稼ぎたい」って気持ちは常にあります。
でもそれは、他人と競争したいからじゃない。

“僕が家族を支えなきゃ”っていう使命感のようなもの。

保育園の月謝、習い事、将来の学費、マイホームの頭金、老後資金――
思い浮かべるだけで、そりゃ不安にもなる。

だからこそ、「周りより多く稼ぎたい」と思った。
安心させたい。選択肢を減らしたくない。
僕が頑張ることで、家族が笑ってくれるなら、それが一番嬉しい。


でも最近、「もっと自分のためにも働いていいのかも」と思うようになった

少しずつ年収も上がってきて、資格も取って、課長というポジションももらえた。
やっと、少しだけ“自分のために働く余白”ができてきた気がします。

そんなタイミングで、身近な人が社長になった。

すごく刺激を受けた。
「もしかしたら、自分にもできるかもしれない」
初めて、そう思った。

守るだけじゃなくて、挑戦する自分でいたい
最近の僕は、そんな風に思って働いています。


働く意味は“変わっていくもの”でいい

「なんのために働くのか?」って問いに、正解なんてないと思う。

最初は家族のためだったし、今ももちろんそう。
でも、そこに少しずつ「自分のやりたいこと」や「挑戦したい気持ち」が混ざってきた。

それって、悪いことじゃない。
むしろ、誰かを守る力を育ててきたからこそ、挑戦できるのかもしれない。

働く意味は、変わっていくものでいい。
大事なのは、そのときどきの自分にちゃんと向き合えているかどうか、なんじゃないかと思っています。


おわりに|今の僕は、“家族に背中を見せる”ために働いている

今、僕は仕事が楽しい。
本業も、副業も、ブログも、どれも「自分で選んでやっている」って感覚があるから。

そして何より、子どもに“挑戦する姿”を見せたいと思っています。
守りながら、前に進む。
その姿が、きっといつかの彼らの力になると信じて。

もし今、働く意味に迷っている人がいたら――
「誰のために?」じゃなくて、「今の自分は、何を大事にしたいのか?」を
ちょっとだけ考えてみてください。


次回予告

次回は、「共働き夫婦のリアルな会話事情」について書いてみようと思います。
“すれ違いそうになったとき、どうしてる?”――我が家の工夫を赤裸々に語ります。

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