フジテレビ vs ダルトン問題に見る、“誰の正義か?”という問い


■ その日、ネットがざわついた

ある日、SNSで「フジテレビ」「やらせ」「ダルトン」がトレンド入り。
話題の発端は、フジテレビの人気番組に登場したダルトン氏による告発だった。

「これはリアルじゃない」「台本があった」
視聴者の共感を集めたシーンが“演出”で作られていた可能性が浮上し、ネット上では「裏切られた」と炎上。
一方でフジテレビ側は「事実に反する内容はない」と反論。

だが、この騒動は単なる「やらせ問題」ではない。
もっと根深い、“信じる”という行為そのものを問うものだった。


■ 視聴者が感じた「共感の裏切り」

視聴者は、「これはリアルだ」と信じた。
苦しみや乗り越えた背景、涙の意味に感動し、心を寄せた。
だからこそ、
「そんな感情まで演出だったのか」
と知ったときの衝撃は大きかった。

怒りというより、“感情を利用された”という悲しさ。
信じたからこそ、裏切られたと感じた。


■ メディアの“演出”はどこまで許されるのか

テレビに演出があるのは前提だ。
構成、テロップ、編集、時には再現ドラマ――どれも当たり前。

でも、今の時代は違う。
視聴者も当事者も、「声を発信できる」時代だ。

  • SNSで本人が真実を語れる
  • 嘘や違和感は一瞬で拡散される
  • 「感情」で動く人がメディアを評価する時代

そうした土壌では、旧来の「ちょっと盛った演出」はもはや通用しない。
**「誰が、誰の物語を作っているか」**が常に問われている。


■ 誰が正しいのか?ではなく、「誰が消されたのか」

この騒動、単純な善悪の問題ではない。

  • フジテレビ:演出はしたが、虚偽ではないと主張
  • ダルトン:自分の本音や意思が歪められたと感じている
  • 視聴者:「共感したのに、それが嘘だったのか」と怒っている

正義は1つじゃない。
でも、確実に言えるのは――
「誰かの物語」が、他者の都合で変えられてしまったということ。


■ パパとして思う:「情報との付き合い方」を教えられるか

自分の子どもがテレビやSNSで何かを見て「かわいそうだね」と言ったとき、
「でも、裏にどんな視点があるか考えてみよう」と伝えられるか。

見抜く力=生きる力になっているこの時代。
情報の波の中で、「自分の軸」を持てるようにするのが、大人の役目だと思う。


■ おわりに:演出より怖いのは“見たいものしか見ない”こと

人は感動したい、誰かを応援したい。
それは素晴らしい感情だけど、
その純粋さを利用されると、深く傷つく。

「これは誰の物語か?」
「その“演出”は誰のためか?」

そんな問いを持ちながら、これからも情報と向き合っていきたい。


▶︎次回予告(更新版)

次回は、「なぜキーエンスには“できない営業マン”がいないのか?組織の仕組みと文化を考える」をお届けします。

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