社会復帰って、本当に“許される”ことなのか
【最近、こんな話題を耳にした】
あるトーク番組で、こんな一言が出た。
「前科がある人でも、立ち直れば社会に戻るべきだよね」
それに対して、コメント欄では賛否が分かれていた。
「更生を信じたい」という声もあれば、
「一度やった人はまたやる」という冷たい声もあった。
正直、僕もむずかしい問題だと思った。
でも、1人の親として、働く人間として、
ちゃんと考えなきゃいけないテーマだとも感じた。
【“前科者”というレッテルの重さ】
日本では、逮捕歴がある人に対する社会の目はかなり厳しい。
・再就職が難しい
・家を借りづらい
・保育園や学校の保護者関係で敬遠される
・ネットには「逮捕歴あり」という記事が半永久的に残る
つまり、一度つまずいたら、
その後の人生まるごと“壁だらけ”になるのが現実だ。
【でも、ちょっとだけ視点を変えてみた】
例えば、こう考えてみる。
・罪を犯した背景に、家庭の貧困や教育の不平等があったら?
・助けを求められず、孤独の中で判断を誤った人だったら?
・出所後、本気で働こうとしても、社会の壁が厚すぎて心が折れたとしたら?
「前科があるから×」ではなくて、
**「やり直すための道がないから×」になってないか?**と、思った。
【社会復帰の“現場”では何が起きているのか】
実は、日本にも更生支援を行っている団体がある。
・出所者の雇用を積極的に受け入れる企業
・職業訓練やメンタルケアを提供するNPO
・住居支援、家族との再接続を手助けする地域団体
でも、それはごく一部。
多くの人は、社会に戻る“手がかり”すらないまま出所し、
また孤独の中で道を踏み外してしまう。
【僕は、こう思った】
もちろん、犯罪を許すつもりはない。
でも同時に、「過ちを犯した人に、一生十字架を背負わせる社会」って、
自分や家族が同じ立場になった時、やっぱりしんどいと思う。
間違いを責める社会じゃなく、
「戻ってくる場所を作る社会」のほうが、
子どもたちに見せたい大人の世界な気がする。
【まとめ】
“前科者”という言葉には、重たいイメージがある。
でもその一歩奥には、人間の弱さと、社会の冷たさがあると思う。
やり直したい人に、やり直せる場所がある社会。
それはきっと、誰かの希望になる。
“人は変われるか”じゃなくて、
“変わろうとする人に、何ができるか”を考えたい。
▶︎次回予告
「建設業の“セクハラ問題”、なぜ見過ごされるのか?」
男性中心社会と言われる建設業界で、なぜハラスメントが放置されてしまうのか。
現場の“空気”が女性を黙らせ、仕組みが守らない――
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